ジャック・フィニイ『ゲイルズバーグの春を愛す』

 エコエコと叫ばれ続けて早幾年、相変わらず石油依存はなくならず、結局産業を引っ張るのは自動車会社で、いつになったら真剣に温暖化対策に取り組むんですかねぇ、な昨今、純愛ブームが過ぎ去ってから婚活ブームって、結局純愛は見つからなかったのか、ブームに流されるような愛じゃ偽物なのか、とにかくラブロマコメントありがとうございました、な今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか、fruitskukuruです。

 さて今回は、もったいない精神が活きてた江戸時代って、結構再利用に力入れてたんだぜ! だけど米英は鯨油目的で捕鯨しまくって絶滅危機の引き金を引いたんだぜ、という気分にこの1冊。

 懐古であるっ!
 って、すでにこの作品が1960年の著作で、訳書出版が1980年の時点で十分に古いんですがね。
 更に、古い。
 あまりに古すぎて、3週くらいして逆に新しく感じる、くらいに古い、1880年代が主役の短編である。

 これを書いている私自身、10年ぶりくらいに1994年の13刷を引っ張り出してきたんですが……現在でも手に入るんですかね、これ(ちゃんと書店に並んでました)
 いまだWindowsが3.1から95に進化したかどうかの頃で、そんな時でもネット書評で薦められて読んだような、すっごく曖昧な記憶なんですが……少なくとも、知り合いに薦められたわけじゃなく、でもどこかで薦められて読んでいた、みたいな。

 で、短編集です。
 表題作ですら30ページ強。それでも、記憶の奥深くに根付いていたほどの物語強度が、この作品にはあります。
 全10作が収録されているんですが、表題作と「愛の手紙」の物語力が秀逸ですね。
 なんというか、すっごく、せつない。
 全編に漂っているのが、過去の残骸なので、負けの気配が濃厚なんですよ。
 もう、限りなく黒(敗北)に近い灰色、といった物語なのですが、だからこそ、愛おしいと思ってしまうのは、判官びいきな日本人だからでしょうか?

 何を書いてもネタバレになりそうなんですが、訳者あとがきが秀逸なので、ここに引用させてもらいます。

 いわゆるファンタジィが、現実世界から、超越するにしろ逃避するにしろ要するに遠慮がちに現実を見てみぬふりするものであるとすれば、フィニイの作品はそんなファンタジィではありません。彼はむしろ、積極的に、そんな現実を拒否するのです。そんな現実は嫌いだといってそっぽを向き、自分の好きな第二の現実をつくりだすのです。

 まさに、その通りの物語。
 現実が厳しくてつまらなくてドラマティックでないことを熟知し、だからこそ現実を否定する物語で反逆する。
 その姿勢は、今なら分かるんですが、三次元を拒否して二次元に生きたい、と叫ぶ昨今のオタ事情に重なってみえるほど(笑
 いや、実際「愛の手紙」の手の届かないもどかしさは、二次元に恋したことのある人間なら、喉を掻き毟って死にたくなるほどの威力を秘めていて、人間って時間が経っても進化しないものなんだなぁと、感慨深いものが。
 
 古典古典っていうけどさ、結局どれを読めばいいわけ? な気分のときに、是非。
 実際、読むべき古典ってたくさんあると思いますが……新刊すら追えないのに古典までは手が出ませんが。
 今ならライトノベルって紹介したほうがシックリくるような、すこし不思議、な世界がそこに。
 あ、うん、ライトノベルっぽいんだ(今気づいた)。1960年の作品だけど。