『孤独のアニメ』 〜劇場版美少女戦士セーラームーンR 

 こんにちはtyokorataです。今回のお題は非モテ非コミュへのメッセージアニメ、『劇場版セーラームーンR』です。

 「人を殺すにゃ包丁はいらぬ、孤独にさせればそれでいい」

 もっとも孤独になった秋葉原事件の彼は他人を殺しに走ったわけですが。

 キーワード「誰でも良かった、自分を注目してくれる事件を起こしたかった」

 もてない事、孤独への絶望は加藤氏を秋葉原事件へといざないました。
同様な事件は佐世保のスポーツジム殺人事件、津山の32人殺しなどがあります。

 以下マザーテレサのお言葉

 ひとりぼっちの寂しさと誰からも必要とされていないという思いは、最も恐ろしい貧困である。by マザー・テレサ

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 そして孤独を描いたアニメがこちらです。本来なら作品の魅力を語るために自分で千言万語を繰るべきですが、作品の魅力を伝える為なら私は手段を選びません。

 動画は子供向けにしては難解で、子供づれで来ていたお母さんが微妙な顔をしていたのが印象的だった、劇場版セーラームーンRの裏主人公のフィオレの孤独を語る場面です。

 この作品が作られた時代は1993年でまだ社会的弱者がそれほどクローズアップされてないバブルの余波があった時代でしたが、今のような弱者が切り捨てられる時代だとこの映画はひときわ重く感じられます。 
 
 彼女や友人もなく工場とアパートの往復をする若者、派遣労働で日銭を稼ぎつつも何のために生きるのかと自問自答する就職氷河期世代、妻と別れ、会社からもリストラされた50代・・・。

 何のセーフティーネットもない社会は孤独を拡大再生産していきます。

 そんな社会の大海原に非コミュの人間が放り出されたとき、彼は真の孤独をかみ締める事になります。自分を変えるという選択肢に気付くまでは。

 作品の構図的には、誰も信用できない孤独な敵のフィオレ(非モテ非コミュ)が、誰からも愛される主人公を「嘘つき」だと思い殺そうとする、子供向けの作品にしてはかなりヤバメのお話です。

 

 上記の動画はフィオレが裸のムーンの胸をガン掴みしているように見えるけど、気のせいです。このシーンを一緒に見ていたママさんたちの困惑した顔は未だに忘れられません。

 フィオレ「お前も僕と死ぬんだ」
 ムーン「何を怖がっているの、貴方はひとりじゃないわ」
 フィオレ「うそだ、優しいふりをして僕を騙そうとしているだけだ!」

 オタクや非モテの凍てついた心のフルアーマーぶりは、プラモ狂四郎もさじを投げるほどです。それを体現したフィオレの「やさしいふりをして僕を騙そうとしているだけだ」という言葉が実に重たいです。

 幾原監督はこの映画を作る事で、オタクに「現実に帰れ」とメッセージを投げつけましたが、渾身のメッセージを理解した上で根拠のないプライドが邪魔をして人生を生きにくくしている私がいるようでは、作品で人間を救うなどとは無理の一言。

 きっかけにはなるかもしれないけど、あとは自分次第ですね。

 wikiによると、この映画のお陰でエヴァンゲリオンが生まれたそうです。

 何処までホントかは分かりませんが。

<本作に感動した庵野秀明は映画館で三度観た[11]。また、映画のビデオを貞本義行に見せて、準備中だった「新世紀エヴァンゲリオン」の碇シンジの声は緒方恵美しかないと力説した[12] 。緒方恵美は本作で衛の少年時代の声を担当している。>

http://ja.wikipedia.org/wiki/劇場版美少女戦士セーラームーンR

 フィオレの胸に寄生しているキセニアンは人間の弱い心に寄生する寄生種ですが、私の主観だとフィオレにアドバイスしたり、間違った事に力を貸す辺り、過保護な母親の元で性的、精神的自立が遅れる子供と母親の構図に見えました。

[11]
「さらばセーラームーン 夢特集 幾原邦彦」(ハッピー興行新社)の中の庵野秀明の寄稿より。
[12]「eve 2015年の女神たち―新世紀エヴァンゲリオンPHOTO FILE」(角川書店)の中での貞元の発言より

 毎回取りとめのない内容でしたが、孤独と救済の必要な社会になりつつあると実感する世の中だけに、人を信じる事の大事さを作品を通して見てみるのもいいかもしれません。