栗本薫『真夜中の切裂きジャック』。

 作家栗本薫は、一般に、長編の人として知られています。

 個人が書いたものとしては世界一の長さを誇る『グイン・サーガ』を初め、『魔界水滸伝』、『夢幻戦記』、『天狼星』、『六道ヶ辻』など、数々の大長編をのこしている。

 しかし、少なくとも全盛期の栗本は、短編作家としても、稀有な異能を発揮していました。その証拠を収めたショーケースが、即ち、本書『真夜中の切裂きジャック』です。

 表題作『真夜中の切裂きジャック』を初めとする七本の短編が収められているのですが、いずれ劣らぬ切れ味、しかし、ここでぼくが取り上げたいのは、歌舞伎俳優を主人公にした「獅子」と「白鷺」の二本です。

 代表作『絃の聖域』を読めばわかるとおり、この手の芸道小説を書かせると、このひとはうまい。本当にうまい。芸に生きるものたちの、常人には理解されえぬさだめの修羅を、克明に描き出して間然としません。

 特に「獅子」は、迫り来る死を目前にして、なお、芸道に打ち込み、一生の成果を半年のうちに成し遂げようとする若者を描き、読者を打ちのめします。

 そしてまた、その文章の、独特のリズム、これが、いちど嵌まってしまうとたまらない魅力に思えてくるのですね。

 その――
 霏々として吹きあれる雪の中で、赤いものが、しだいに大きくふくれあがって、人々の心をぬりつぶしはじめている。鷺の精が、踊り狂い、救いをもとめ、のたうつたびに、その、雪をそめる鮮紅のいろは、このあやしい変化の生きものの足をしたたり、純白の雪をさながら雪姫が描いて生命を得たねずみのように、生命あるものにふるえおののかせる。

「白鷺」

 栗本薫の作品を読んでみたいけれど、大長編ばかりでちょっと、という向きは、ここから入って見るのもいいかもしれません。良くも悪くも、彼女のエッセンスが詰まった短編集です。